« ANCHOR F5をロードバイク風にしてみる(その4) | トップページ | なかなかポータルがライブしない? »

2018年3月 6日 (火)

身内が殺されてもワカランものなんだろう多分

国連の人権巡る勧告、日本は死刑廃止など拒否 見解公表

https://www.asahi.com/articles/ASL357WL1L35UHBI05D.html

死刑ですか……色々あるとは思いますけど、極刑っていうのは存在して然るべきなんじゃないかとも思います。
私なら、例えば身内を殺害されたとして、犯人が終身刑として裁かれても納得行かないでしょうね。それだったら自分がこの手で始末する、みたく思えるかも。法治国家なのでそうできないのですけどね。

こういう勧告を出す人達は、万一自分の身内が惨たらしく殺害されても、すました顔で「罪を憎んで人を憎まず」とか唱える聖人ばかりなんだろうなー。

……本当に人間?

|

« ANCHOR F5をロードバイク風にしてみる(その4) | トップページ | なかなかポータルがライブしない? »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 この辺りの論争には一応関心が有るのですが…

 現在の日本では、死刑は必要なのだと思います
 終身刑が有るとは云え、名ばかりの終身刑で、実質十数年から数十年すれば何らかの恩赦で娑婆に出れる事が殆どですから

 例えば、米国の様に懲役千何百年と云う有期刑で、恩赦は数年~十数年と云う状態なら、そう簡単に娑婆には出て来れません
 漫画等でも良く有る様に、死んでも保障無しのイリーガルに駆り出す度に『今回の恩赦は○○年だ』とか云って減刑をエサに非合法な事をやらせるとか、そう云う制度が有るならば、死刑は反対になります

 死と云うのは、ソコで娑婆とは絶対にオサラバ、と云う意味では究極の罰では有りますが、死ぬ瞬間の恐怖だけで後は開放される究極の救済とも云えます
 故に、生かすだけ生かして『もぉ殺してくれ』と泣いて頼んでも殺さずに、この世界で恐怖・屈辱等々、およそ人間の尊厳と云う尊厳を打ち砕いて『飼って』やる…と云う方が、私は好みですからねぇ

 長々と失礼

投稿: 毘沙門天松茸 | 2018年3月12日 (月) 09時24分

→ まったけちゃん

遅レスすみません。
そうですねー、私も死刑をカンタンに執行するよりは、プロセス中にその受刑者へ「およそ人間の尊厳と云う尊厳を打ち砕いて」やる方が重要だと思います。

受刑者が被害者へどんな仕打ちをしてきたか……は受刑者が死刑が言い渡される時点で類推できると思いますが、被害者の尊厳を踏みにじった奴が人としての尊厳を保ったまま死ねると思うな、と言いたいところです。

目には目を、とは物理的に同じところを傷つけるのではなく、尊厳を踏みにじった奴は尊厳を踏みにじられて葬られる意味であって欲しいのです。

これ以上の話は哲学になるので頭が痛いです(^_^;)

投稿: いぶき | 2018年3月24日 (土) 13時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1021921/73083095

この記事へのトラックバック一覧です: 身内が殺されてもワカランものなんだろう多分:

« ANCHOR F5をロードバイク風にしてみる(その4) | トップページ | なかなかポータルがライブしない? »